20250209  京都の雪景色

20250209

【京都市上京区】市内でも大雪 西陣織(にしじんおり)の街にある 秀吉(ひでよし)が築いた 洛北(らくほく)防波堤(ぼうはてい)としての寺院通も  一面銀世界(いちめんぎんせかい)

大阪管区気象台が「8日にかけては 発達した雪雲(ゆきぐも)が 流れ込み、 近畿中部(きんきちゅうぶ)平地(へいち)や近畿南部の山地(さんち)でも 注意報級の大雪(おおゆき)となる」と予測した通り、2025年2月8日は 市内一円(いちえん)が大雪に見舞(みま)われました。かつて秀吉は、京都大改造で西と南に築いた 御土居(おどい)に対して、北と東は寺町通(てらまちどおり)寺之内通(てらのないつう)を作って 宗教パワーで 防波堤(ぼうはてい)にしようとしたといわれています。

その西陣織(にしじんおり)(まち)としても 知られる上京区の寺之内(てらのない)(どおり)雪化粧(ゆきげしょう)(つつ)まれました。寺之内通にある法華(ほっけ)寺院(じいん)史跡(しせき)京町家(きょうちょうか)が 雪の中で 京都風情(きょうとふぜい)(かも)()していました。応仁(おうにん)(らん)の最初の大合戦(だいかっせん)の際に、 細川方(ほそかわがた)山名方(やまながた)軍勢(ぐんぜい)が 火花を散らした 橋として知られる百々橋(どどばし)跡にある礎石(そせき)も 雪で()もれていました。妙蓮寺(みょうれんじ)では、別名薬医門(べつめいやくいもん)と呼ばれる格式高(かくしきたか)山門(さんもん)にも雪が()(そそ)ぎ、すでに幻想的(げんそうてき)雰囲気が(ただよ)います。冬に咲く お会式桜(えしきざくら)にも 雪の(はな)が 咲き、日像上人(にちぞうしょうにん) 作成の日蓮聖人像(にちれんせいじんぞう)も雪に(おお)われていました。それぞれの塔頭前(たっちゅうまえ)小径(しょうけい)()えられたモミジなどもこの日は真っ白でした。

聚楽第裏門(じゅらくだいうらもん)を移築したと伝えられる妙覚寺大門前(みょうかくじだいもんぜん)の枝垂桜にも雪の花が。織田信長(おだのぶなが)やすでに後継者とされ、三位中将と呼ばれた嫡男(ちゃくなん)織田信忠(おだのぶただ)などが上洛した際には、当時二条衣棚(ころもたな)にあった この寺を定宿(じょうやど)としていました。実は信長が本能寺(ほんのうじ)宿泊(しゅくはく)したのは数回で、妙覚寺(みょうかくじ)は18回の記録があると言います。

妙顕寺(みょうけんじ)は、京の都に建立された、釈尊(しゃくそん)釈迦(しゃか))の真意の教えが()かれた 法華経典を学ぶ最初の法華 道場(どうじょう)です。戦国時代(せんごくじだい)には東西(とうざい)西洞院(にしのとういん)から油小路(あぶらこうじ)、南北は御池(みいけ)から二条にわたる大規模な敷地をもち、本能寺の変後(へんご)豊臣秀吉(とよとみひでよし)が 京都の宿所(しゅくしょ)としていたことで知られます。京都所司代前田玄以(きょうとしょしだいまえだげんい)が 作事(さくじ)(つと)めた妙顕寺城(みょうけんじじょう)への改造の際に 寺之内通(てらのないつう)の現在地に移転しました。尾形光琳(おがたこうりん)といった著名な芸術家(げいじゅつか)(えん)(ふか)庭園(ていえん)魅力(みりょく)です。

小川寺之内(おがわでらこれうち)(かど)には、茶道発祥(さどうはっしょう)の地にほど 近い「茶菓子」の店として開業し、「茶菓子(ちゃがし)」に特化(とっか)した店舗(てんぽ)俵屋吉富(たわらやよしとみ) 小川店(おがわてん)」があります。平成建築(へいせいけんちく)町家(ちょうか)ですが 風情があります。また茶房(さぼう)「茶ろん たわらや」を併設(へいせつ)していて、たわらや独自(どくじ)の「あんみつ」をはじめ、良質(りょうしつ)材料(ざいりょう)でしか(あじ)わえない定番(ていばん)甘味(あまみ)やお抹茶(まっちゃ)() 季節(きせつ)生菓子(なまがし)などが提供されています。 表千家(おもてせんけ)裏千家(うらせんけ)家元(いえもと)が集中していて、風情のある小川通(おがわとおる)寺之内(てらこれうち)を上がると 千利休(せんのりきゅう)邸宅跡(ていたくあと)でもあり、「不審菴(ふしんあん)」のある表千家(おもてせんけ)宗家(そうけ)も 雪で(おお)われていました。引き続き 冬型(ふゆがた)気圧配置(きあつはいち)が 続くようですが、みなさん体調管理に 気を付けてお()ごしください!

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